テンマ
君は殺しちゃ駄目だって何回かニナを止めますが人の生死を左右しちゃ駄目だ死を与えちゃ駄目だいいますしなんでしょう、それこそが怪物となんとなく理解してるんでしょうきっと。医者という命を救う職業でありつつトルコ人労働者とローデッカー市長、ヨハンが引き起こした殺人の数々が間接的に直接的に自分のせいと思ってるわけで。
ヨハン
初読時に疑問だった僕を見て僕を見て僕の中の怪物がこんなに大きくなったよって給水タンクの書き込みなにあれってのが氷解したように思う。あれはジョーク。後半ヨハンは名前のない怪物に固執していくけれどあの書き込みの怪物は単に、いっぺんに100人、1000人単位で殺せるようになったよそれくらい大きくなったよテンマ先生!て意味じゃなかろうか。人格云々も同様に、ヨハンの中に誰かいるとしたら一人だけ、妹のアンナだけ。
ルンゲ
今思ったけれど名前のない怪物ってのはまあ象徴的な絵本で、それはルンゲにテンマ、つまり肩書きや立場に職業を名前と置き換えてみるとなんというか。ニナもそうか。エヴァもスーク刑事も。最初何かで、あとからその何かじゃなくなる人が結構たくさんでてくる漫画です。
とすると
この漫画に関して恐怖ってのはこう、何かじゃなくなることってのもある。「君の本当の名前はアンナ・リーベルト」(違うけど)。本当の恐怖はまあ、生存に関する選択可能性を奪われること、自分以外の誰かが手にすることなんだと思うんですが。この漫画では。
じゃあ名前って何か
ニナとヨハンのお母さんがよくわからない。なんでまたヨハンを女装させてたのか。なんで一人、ヨハンだけ残った状態でどっかにいなくなるのか。少なくとも母子3人で10年近く生活してたはずで、そんときに2人の子供をあの人はなんて呼んでたのか。それをなんでヨハン覚えてないのか。名前も性別も曖昧な状態だったからこそヨハン言うところの本当の恐怖をヨハンはニナは味わってしまったわけで、ていうか、クラウス・ポッペがあの本を書いたのは双子出生後いや、名前とかどうでもいいってそんときクラウスは思ってたわけで。そんときってのは双子出生時点で。
クラウス
絵本のインスピレーションの源が全部アンナ、そして双子だと仮定しよう。オチが酷いとしても一貫して本のテーマは全て何かを欲する、何かしよう、何かになろうと思うという物語で出発点は何も持ってない状態。人間が何かを求めるその何かで最も強いもの、それはアイデンティティーだろうっていう絵本、名前とか立場とか。彼がやった実験ってのはつまり、一旦全て奪い、そこから自分を獲得していく過程を操作しようっていう実験だ多分。恣意的に「自分」をこっちで与えることは可能かっていう実験。前段階として奪い、本論というか主目的として付与する実験。
双子のお母さん
だからまあ、メンデルとか最後の最後に出てくるのはわっかりやすい。政府の予算をもって優生学とかやってたクラウスだが別に両親が優生じゃなくても優秀な人間はできるはず、てのをやったんだろう。実験したんだろう。それも極端に。
可愛い無許可医
この子のエピソードでめちゃポジティブなことをテンマ言いますね。一生懸命勉強するんだ、そうしたら君は絶対優秀な医者になる、みたいなこと。(オーバーザレインボーの人も言う)(他にも言う)
だからその
この漫画の途中から顕著な裏テーマ、みたいなのはあれだ、メンデル打破、克己メンデル、とか。後天性万歳。だってほら、あそこまでヨハンが異常に優秀なのは両親関係なく、結果ですって。生まれながらの天才とか指導者とか評する人は多数登場しますが、あれは自らの出自の不安定さがゆえですよ。女装とか。確かな何かを求めた結果人間関係とかその他諸々の大勉強に走ったのが幼き日のヨハン。ニナもきっとそう。
恐怖 本当の恐怖
登場人物によって異なりますけど。ヨハンの場合。そういやなんで1巻で自殺を選択したか。自分で自分の生死を選択できる状態に達したと思ったんでしょうきっと。喜びに包まれて。もう他の誰にも自分の命は奪えない。大好きな妹、ほとんど自分と同一視してるもう一人の自分に自分を殺させる、自分で自分の運命を選ぶ。あのときの彼の最高の喜び、最高の幸福だ。じゃあなんで泣いたかって、あれはそう、悲しくて。テンマ関係ない。嬉しくて。テンマ関係ある。こいつは俺じゃなかったのかっていう悲哀。こいつ分かってる!ていう歓喜。上手く行かなくて。「完璧な自殺」と最終巻でニナ言いますけど、どうして誰かを介することで完璧な自殺なのかって、まあやり直しですよね。1巻の。10年越しのテンマを介した自殺というか、まあ、テンマ(あるいはもっと原初のクラウス)じゃなきゃ駄目な、結構切羽詰った感じで。だってあれでしょ、テンマおまけでしょあれ。最初はクラウスに殺される為にあの町に行ったはず。プランBとしてテンマ。俺はそう思う。テンマでも駄目ならニナでって、もしかしらずっとそうなのかもしれないけれど。自分の運命を左右してきた人の運命を自分で左右して自らの運命を自ら選ぶ。