映画から、あるいは創作物からメッセージなんて受け取ったことないのでメッセージもしくは主題やテーマ、そういうことは知らない。それは私が決める、という立場なのでこの映画はこういうこと言いたかったんだとかマジ興味ない。勝手に解釈して勝手に満足する事に充実感を覚えて充足する。最大限に我侭を言うと、見終わった後に何かしら考えさせるようなものであってくれ。あそこ良かった、駄目だった、なんでも。私の脳味噌に刺激を。だから、説教臭いとか、何言いたいのか分からないとかいう感想を心底理解できる。共感できる。その彼らと同じことを言おう。説教臭いと言われる映画でも、私はそうは思わなかったからその映画は説教臭い映画ではない。何が言いたいのか分からないと言われる映画でも、何か言われたいと全く思わない私はそこに不満は覚えない。逆もまたしかり。なんだろう。感情移入できなかった、感動できなかった、という不満に私は全面的に賛成するんだ。感情移入できた、感動できた(だからいい映画だった)という賛辞に賛成する。そうだよね、それっていい映画だよねと思う。例えば他の価値基準を知ってしまったらいくらだって批判できる。それは確かだ。でも、そっちの判断が、規準が上記判断に本当に勝ってるのか、とは言えないと思う。あげつらうなよ。なんだろう。思想の自由ってあるが、つまり「そう思ったお前は正しい」そういうこと。皆正しい。お前が正しいと思ったそれは正しい。それは否定できない。そしてそうは思わなかった私もまた正しい。それでいいじゃない。私が私の意見を正しいと思えるのは、あなたという反対意見を目にしたからだ。そういうのはあるけど。まあ何が言いたいかっつーとアマゾンのレビューにたまにむかつく、ということがある。例えば最近だと『屋上ミサイル』って本ね。あーなんか知ってる見たことあるどっかで評判になってたの、と手に取ってぺらりと捲って主人公は女子高生で冒頭で校舎の屋上に行ってなんか妙に興味を惹かれる会ったことの無い同級生に遭遇する、ってだけで1000点だ私は。その時点で購入は決める本を手に取るレジ持ってく評価は減点方式で全部読み終えてやはり1000点。100点満点で1000点。アマゾン方式で言うと星200個。いやそれは、読んでる最中にちらっと思ったのは初野晴、そしてああいうのが好きで好きでしょうがなくてそういうのを捜し求めてる私は目から鱗。嬉しくなるまだあったんだってアンテナ低い私の幸せな読書体験ってまじこういうのを言う、と思う。あー。的外れだ、とは分かってるがそれでも言いたい。伊坂っぽい、と批判する人は伊坂の本を読みたくてこれ読んだのか。違うだろ。いや違うんだ、その逆批判は的外れなんだ。分かってる。でも、なんか、なんだろ。読んでる最中全く伊坂と思わず思ったのは初野晴で、でも初野晴が大好きな私は初野晴っぽいこれと超喜んで読んでて全部読んでから選評者の評にあった伊坂の文字にそうか言われてみればそうかも、とは思ったけどでも私はそうは思わなかったと思い、で、アマゾンとか見て伊坂を引き合いに駄目と言う人にげんなり。10人中9人が伊坂に似てると言えばそれは伊坂に似ている。それは正しいと思う。その人たちの意見を読んで私も思った。似てるね確かにね。でもだからどうした。似てたら駄目なんて私は思わない私は伊坂の本も好きだけど読んでる最中全く思い出さなかったけど思い出したとしてもこれ私の好きな伊坂に似てる!と喜んで読んだぞ絶対。そういう読み方はできないのかお前ら。ていうか、作者が伊坂大好きで仮に模倣したとしてもだな、この人私と同じ物好きなんだ、となぜ喜ばない。そこで喜べないお前らは伊坂が嫌いなのか。私は好きだぞ。違うのか。好きなもの真似された、と怒るか。私は好きなもの増えた、と喜ぶけど違うんか。つうかだな、鬼の首取ったように伊坂伊坂言うなや。つまらない伊坂(無いけど)より1000倍面白いぜこの本。つまり、伊坂だと思っちゃえば?できないの?つまり、伊坂が新作出した、でもつまんなかった、って言えば?そう言いたいんだろ違うのか。破滅してるけど思考に意見、でもそう思うのよ。その言うなれば畢竟「私の好きな伊坂じゃなかった」的な批判どうなのよ。この人伊坂じゃねえだろが。「私の好きな伊坂みたいな本だけど伊坂には及ばなかった」と批判するならこうだろが。そう書けよ。読んでる最中伊坂と毛ほどに思わなかった私に対してこの意見は完全に的外れだけどね。伊坂にこれは書けないよ。だってこの作者伊坂じゃないもんね。伊坂に書けないもん書かないもん書いてるしね。逆を言うとこの作者も伊坂みたいな本は書けないよ。似てたとしても、同じ物は絶対に書けない。「伊坂っぽいけど伊坂っぽくない」2人とも好きで後からどこが伊坂なんだろうと思い返した私が見つけた伊坂っぽいけど伊坂っぽくないという幸せな色々、教えねえわ。むかついたし。この幸せは私だけのものだ。2人とも好きな私は超幸せ、としか言えない。めちゃめちゃ幸せ。この幸せは私だけのものでいいね。そう思えないこの幸せを享受できないあんたら不幸ね。可哀想ねとすら思うねっていやねこう思った私全否定なお前のお前らのレビューに対してね、さっきも書いたけど好きなものと似てるものが出てきた、それは幸せなことではないんすか。ねえ。そこがほんと不思議だ。好きじゃねえのかよって。なに求めてんのあんたら。伊坂っぽいけど伊坂に及ばないって批判するお前はなんなの。超意味わかんねえ。そんなに伊坂好きなのか。繰り返すが、そこまで伊坂が好きなら伊坂っぽいとお前が言う当時新人の彼の登場に喜べよ。喜べないお前ら多分伊坂が嫌いだろ。好きなふりすんじゃねえ。ぐっだぐだだねこの後半。でもまじで。××っぽいって何かを批判するてめえはほんとにその××が好きなんか。その批判手法を選択する時点で違うとみなすぜ私はというか、さっきも書いたがだからなにと思うね。批判するにあたって他の何かを持ってきたお前に対して、完全に用意できてる、私は、という観点で。ていうかその時点で、そうかそうか私はそうは思わないよと同一、匹敵。何もダメージゼロ。つーか。なんつーか。そう思ったお前は否定しないけどそう思ったお前の、思った根っこがむかつく。あるよね。その根拠がむかつく。あってくれ。あってくれよ。