分断されたものの統合、みたいなのがあの映画にはあったのかー、なー?とかメモ。いや好きなんでねそういうの。この映画も。アレンと影ってサンキューですどうも!それ以外もこうずっと。貼った絵の直前テルーが言うやつ。それは一緒だ!てやつ。いや直前に『もののけ姫』を見たのちに続けざまにこの『ゲド戦記』見たわけですがもののけ姫いやひっさしぶりに見たあれ大好きだー多分一番好きなの仮面被ったサンが屋根の上に立つとこ、とかまあ置いといて、久しぶりに見て改めて思うのはあの映画は世の中には色んな考えを持ってる人とか何かがいてそれでもってその考えが全部正しい場合はあり皆それを実現しようとするけれど、そんな中、どう我侭を言うか主張を言うか自分の立ち位置立場声を上げて自らの実現したいものを見つけ捨てず頑張るか捨てられるかあるいは他を認められるか、皆正しい、それは分かってるでも俺は、みたいな。だから私的に。考えは違うけど一緒にいたいよ、とこれは別の側面からも最強の終わり方であるわけであれはとかまあそれはいいわけで。分断されたものってのはその、まっすぐ生きるだか正しく生きるだか忘れましたが監督自身がブログで書いたというああまっとうだっけ?まっとうの意味。皆まっとうを目指してるのに。いや違う、違うんだそんなことが言いたいわけではない。それは違う。あー。冒険だ。考え方は違っても、目指してるものは同じ筈だ。そりゃ冒険だ。続く。続くんだぜ。まあその前に。私この映画でさいっこうにいいなと思ったのはどうしてあんなことしたのか分からない、とアレンに言わせたとこ。なんらかの説明するより数百倍数千倍いいと思ったあれ。なので憤慨。「なぜアレンは父親を」と疑問に思った意見をネットで目にした際。アレンも分からないて言ってますがな。それでも気になりますか。やった本人分からん言ってんのに観客に分かるわけがない。それでも分からないことに不満か。それはそんな瑕疵か。不満なら考えて納得行く回答探そうぜ。と思うけど。