リハビリ


読後感がビターなのはなぜなのかと考えて、身内か否かっていう天秤がこの話を支配してるからだと思う。あるいは、身内か否かってのがこの話の軸だから。そりゃもう頻出する。知り合いか友達か、高校生か中学生か、内か外か。新歓とか。最後のほうで「外の話だった」って口にした瞬間にあいつは外の人間だ、って。あれは学校の外って意味じゃないと思う。1巻で過去を相手にした奉太郎だ。学校の外くらいどうってことない。とするとこの場合の外ってのは古典部の外。シリーズ通して身内意識を持ってしまったからこそあれだけ悩むことになる。初期の彼ならそれこそ自分から動かないし、それは内も外も無かったから。動くことを決めたときに、身内の為って時点でそれ以外を切り捨ててしまう。外を。誤解を解く行為は身内の為に行う行為、つまり身内じゃない人を確定してしまう行為。だから悩む。だからビター。そういうのは私にとってビターな話だなーと確認する。もしかして、境界を取っ払う為に動いたのに動いた結果境界を作ってしまったのか?だからあんなに悔恨、どうだろう。どう捉えたらいいんだろう。あとまあ、貼った画像よりも文章が上下に短いとなんか負けた感。そんで大日向登場時に神原駿河を連想してしまってこの印象取っ払うのに苦労したの私だけ?ググってみてヒットしなかったのでなんか勝った感。なんか。あとえるが卒業文集見た理由って1つしかなくね?可愛くね?