ザ・ホード 死霊の大群


前説
いきなりでなんですがこれ借りるときに隣にあった『ベルリン・オブ・ザ・デッド』ていうのを瞬間共に借りようか否か迷い借りず今ふと検索してヒットしたの流し見たら実に良さげなのでこれ返すときに借りようと思う。あとまだ見てないのに言うのもなんだけど邦題は『ベルリン・ゾンビの詩』でもいいと思う。
本題
トム・ティクヴァ監督作『パフューム』の最高美しい絶頂場面みたいな宣伝スチールがインパクトでかかったので借りて見た。俺はタンクトップ女が大好きだが残念ながらタンクトップ女のタンクトップヒロインのタンクトップが歪むか引き千切られておっぱいが露出する一般映画を見たことがないしこの映画にもそんな場面は無い。残念だ。この映画はおっぱい映画ではないし上の画像の女性のおっぱいは映らないし喰われない。が。ほんの少しだけ映るおっぱい場面はとてもいい場面だった。人間性や人道的くそくらえ。両手両足機関銃で切り離し口はゴムで猿轡ないし歯を全て引っこ抜きコンドームつけたらいいんじゃねこれというこの映画随一の名場面そのおっぱい、というのも、極限状況に置かれた人間の生死を左右するのは死にたくないとか生きたいとかいう意志じゃない、というのがよく分かる。そんな意志は物語の邪魔でしかない。最後まで生き残った奴が一番死にたくなかった?アホか。という。死にたくないから頑張るのは当然、生き残ったそのときに他にしたいことがあるかどうかっつうね。これは同じじゃない。同じことじゃない。じいさんが生き延びてたのは殺されたくないからじゃない。殺したいからだ。そういうことじゃねと思う。つまりじいさんが死ぬのは黒人兄弟の兄貴のせいだ。おっぱいゾンビを犯してればじいさんは生き抜いた。そういう文法だ。極限状況、生死の狭間においても当初の目的を貫徹した上記画像ねーちゃんが生き延びたのはだから当然と言える。この地獄巡りを人任せにした本妻は死んだだろうか。死んでてくれ、と思う。
なんちゅうか
母は強し、みたいな。ふと思い出しました見たばっかりなのにまじで忘れてましたが画像右のタンクトップ女母です。えー。そこに回収すんの、という不満はあるのでまた書き足す。お腹の子供より恋人か旦那かとにかく相手、ただし子供の父親に限る、という。と思う。あーそんなこともないか。シングルマザーに補助や控除がすげえ優しいらしいフランスならではのゾンビ映画。いやそんな。まあ寝る。続く。