昨晩かその前かその分野をほぼ知らない人に本を勧めて絶対に満足(いいじゃんこれ好き教えてくれてありがとう良かったよ(他になんかない?))を得られないからSF好きはマゾで不憫みたいな議論というか意見を目にし俺は他にも音楽とか好きで良かったと思った。その手の満足は音楽で得たことがあるからきっと比較的幸せ。あとラノベでもある。映画でもあるしアニメでもある。俺すげえ幸せなのか、と今知った思った。凄い凄い。あと二重括弧にした部分を切り捨てるか否かが分かれ目ではないかと愚考する次第です。それにしても括弧内で全部おもいっきり求めすぎてるわけだけど。コツはきっと聴いてくれた読んでくれた見てくれただけで射精するくらい快感だ嬉しいありがとうと喜びを、ありがとうと相手に伝えそれだけで本当に満足し感想は求めないことではないか。自分はここが好きなんだと言うのはいい。俺も喜んでやる。同じ話できて嬉しいし。でもそれすらもご褒美というかそう望外。触れてくれただけで満足だな俺。あーわかった前提が違う。俺と違う。俺が何かを誰かに勧めるとき媒体が良いからってのは勿論あるけど大事なのは相手だ。媒体よりも相手が先立つ。その人に読んで貰いたいって相手が大事だ。人に勧めてどうのってSF者がいまいち茫漠としてるのは相手がいないんだあの議論。相手よりSFが先立ったらそら上手く行くものも上手く行くわけないよね。と思った。俺もSF好きだけど、SFよりも勧めたくなる相手のほうが好きだな。今度試してみようっていうかあーあるある俺もSF勧めたことある。返事は芳しいものではなかったというか読んでて寝たごめんとか言われたけどそりゃ不満だったけど自分を不憫とは全く思わなかった。だって手にとって読んでくれただけで俺の満足はMAXに達してるわけだから。SFに限らず俺の満足の頂点はそこ、感想言い合えるとかはオマケだと思ってるのでマゾとかよくわかんないってのはまあ、そういうこと。俺がそれが好きって伝わるだけでいいってのは言いすぎか。あーあともうひとつ。勧めた相手が何か勧めたとき、勧めなくても何か好きって言ったたとき。これを抜かしちゃいけない。そこでどうするか。これが抜けたらそれこそ本当に駄目だ。それだ。SFとかその後だ。あ俺SF好きな人好きなんだよ。なんかみんな穏やかで調子は優しく、SFに詳しいからさ。