映画部の面子で分厚い同人誌作ってコミケで売ってほしいなって本気で思う。ロボコップについてわいわいしてたあのノリで評論系映画本を。作って下さい深見先生俺全力で起きて買いにいく始発にだって乗り先頭に並ぶめっちゃそれ読みてえ。
好きなものを見つけたけど好きなものに別れを告げる。でもその好きだったって残滓は残りその為にそれがあるから頑張れるでもその好きなものはどう頑張ってももう無いってヘビーな話。だよなあ。映画部が揃ってたから対象を好きになれた。映画部が揃わないならそれはもう別のものだ。きっついわーと発売と同時に購入してもやもやと感想は固まらずもう1回読んだらここに書こうと思い数ヶ月結局まだ読まずいいやもう次に読むのは何度読んだか分からない1巻をまたそしてそこから続けて読んだそのときだ。宇宙規模に飛ぶとかいいんだそのもやもやは時間が解消してくれた。まだもやもやしてるのは偏に主人公一兎の決断これどうやって終わるんだろうって最後のほう思いながら続きを楽しみにしてたけど、作者は減点方式というか可能性を潰す事で残ったそこに準じ終わらせた感じ。そういや乾燥者は可能性が暴力的に消された存在だしまあ。子供の頃からこうあってくれたら嬉しいってものが全て潰されてきた主人公がやっと、と思ったら作者は周到にあるいは暴力的にそれを丁寧に段階的に再度潰してくんだからなー。そういう話だったのか。それは誰の望んだ結末だってのが登場人物全員分潰した上で最後導かれるんですけどそれがきっともやもやの正体。この作者は基本的に優しくない。そんな上手くいくわけねーだろってのが根底にある。あれだドン・ウィンズロウの逆。ドン・ウィンズロウはせめてこいつの幸せだけはという書き方をする。どんな不幸な展開をしても全員不幸になりそうな話だけどこいつだけは俺の作者パワーでどうにかできるしてやる物語を捻じ曲げる全力でそいつに幸せをもたらしてみせるそいつに不幸をもたらす可能性を全力で排除する。物語より登場人物を信じる。深見真はそんなことしない。深見真は幸せに向かいそうな可能性にこそ作者パワーを傾け潰し予定された不幸を描く。こういう話なんだから登場人物全員不幸になっていいよねって。いいんだがまあ、感想書き辛いしんどい最終巻でした。