ナイン・インチ・ネイルズ・ライヴ : アンド・オール・ザッツ・クッド・ハヴ・ビーン

ナイン・インチ・ネイルズ・ライヴ : アンド・オール・ザッツ・クッド・ハヴ・ビーン


"still"のほう。情けない話だけれど数日前まで知らなかった。知ってたかもしれないけど意識してなかった数日前に手に入れてふうんと聴き始めてそれからはもうずっと、ずっともう。もう駄目だ。本邦が誇る巨大な掲示板の片隅でこれだけは買ったほうがいいやつ教えてって質問に

「and all that could have beenのボーナスディスクstillは絶対に聴きなさい」

と書いたどこの誰かも分からないあなたに大感謝。これだけあればもう何もいらないって俺は絶叫できる。すげえ。すげえこれ。
無人島どころじゃない。棺桶レベル。たまらん。
あと"And All That Could Have Been"聴いて歌詞とか見て伊藤計劃思い出して泣きそうになるのはお約束。じゃねえ?伊藤計劃と女の子、と言って指折り思いつく3人の女性のうち1人だけ異質な女性がこの曲に、検索すればすぐに出るけど2004年に関連付けられていてそうしてしまう女の子もだがモチーフが数年経てなおハーモニーを彩ってなおかつ、みたいなの。これが頭に流れたのかよって。これを聴きながらあの日記あの小説書いてたのかよって。

I know you tried to rescue me
Didn't let anyone get in
Left with a trace of all that was
And all that could have been

トレント・レズナーが曲の中でYouと言うときその対象はほぼ全部神、あるいはそれに似た大きなものを指すと俺は思ってるけど、作家になってからは、少なくともハーモニーを上梓したときの伊藤計劃にとっては違っただろうと思う。明確に読者を意識したその後というか。METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTSの最中っていうか。システム、でもなくて、ほとんど完璧にトレントと同じ気持ちで曲を自らのものと、神やシステムとしてYouを駆使できた上でそこを突破したんじゃないか。最後はもう、回帰というか、単純に知り合いの誰か、知り合いではないにしても誰か人間をその都度指したものとして聴いてたんじゃないかって思う。まあ戯言。その可能性は無い。あれほどにNINを自家薬籠にしつつそれなのに日記で神的な何かへの恨み言が無いのは不思議というか、作品で吐き出したのかといえばそうでもないように思い、というか、じゃあ、みたいな読者のわがままな。