君のためなら千回でも


監督マーク・フォースター(『ステイ』)脚本デイヴィッド・ベニオフ(『卵をめぐる祖父の戦争』)という括弧内は俺的パーフェクト愛して止まないラブラブ創作物なコンテンツってだけでそれだけでただもうそれだけで題材がなんであれ出演が誰であれまじでそれだけでいやあれだあれだろうがなんだろうがほんとそれだけでただのそれだけにしてもそれにしてもそれでこれでつまんなかったら嘘だ嘘だろうという個人的映画判定見る前からこの面子でクリアな映画で実際見てもなんら全く問題ない俺のそこらへんまだ信頼できるね良かったね俺は俺良かったよほんと良かった俺俺俺な俺映画でもって実際良かった。良かった。何が。どこが。映画が。映画は。失われてしまった美しいものを描くっていうなんだろうモチーフが俺は好きですそれはなんでもいいけれどだいたい過去のものが多いこの映画で言うとまあ過去で記憶で国で街ひっくるめて記憶です見つけました永遠です。なんだっけ。いや永遠も何も見つけたて別に見つけるとか。はい。なんちゅうか。あとまあ選べますが本編前の挨拶として原作者がかなりドヤ顔でこの作品について述べる、というスペシャルな特典映像がDVDにはありますしありますがあるんですがこれ飛ばして見ることを俺は、結構、お勧めしますが、なんか、うぬーというかそれ。それがなあ。それがよう。あとメイキングもだけど、原作者なあ。どれだけ目的が崇高だろうと子供に凧上げもさせないできない状況に正義も大義も何もないそれだけで駄目全部駄目、というのはいいと思います。あと「書くこと」というの。ドヤ顔原作者がなんかっていうかなんかじゃないあんまでもない好きになれないんですが、小説家を主人公にしたってのは俺は好きだ。とてもいいと思う。俺がこの映画でいくつか感動を覚えたそのいくつかの場面の多くは書くことに関する場面が多かった。3傑はまあ、本を書いてくれ、僕は君の書くものが好きだよって言うラキム・ハーン、主人公の処女作の献辞、そんでハッサンの手紙とその内容。他にもたくさん「書くこと」、書くということが散りばめられてここらへん再構成したデイヴィッド・ベニオフの匙加減なのかなあとか思ったりしますが、恐ろしくかっちょええ父ちゃんはアミール(主人公)の父ちゃんが最後小説応援してくれてるだとか一杯とにかくそういうのたくさん。たまねぎ切っても泣けるのに©ハッサンとか。なんか暗い暗い描写で暗い終わり方をするアフガニスタンは首都カブールを題材にしたアミールの習作を読み聞かせられた病床の父ちゃんがそれはまだ終わりじゃない続きを書くんだって言うのとか。凧揚げるよりも感動した。書くってのはどういうことなのかってところにFor you, a thousand times over.よりも感動したっていうか印象に残った。原作未読だからわかんないけどそういう話にしたのかもしれない。違うかもだが。しかしメイキングでマーク・フォースターがこの言葉邦題について言及してるんだけどなんつってたか、この力強い言葉は物語内にある各種感動、愛っつってたか、を更に天高く飛ばす劇的な効果を持っている、とかなんとか言っててすげえな流石だなと思った。いや製作者っていうか、アーティストだなっていうか。でもねえ。書くということのそういうの、自己言及性、強度っつうか凄み、そういうの、下の『つぐない』のほうが凄かった。連続で見たからそう思っちまうのかもしれないけど。ていうかこれそもそもそういう映画じゃねえかもだけど。ところで主婦になってからの将軍の娘のおっぱいが良かった。出ないんですけどね。
追記

"著者はおよそ考えられるすべての誠実さを捨てて、ハリウッド的な単純化の要請に忠実に従っている。"


中里一日記 2008年05月05日 カーレド・ホッセイニ君のためなら千回でも』(ハヤカワepi文庫)
http://kaoriha.org/nikki/archives/000559.html

いやすっきりした。原作未読だけど、マーク・フォースターデイヴィッド・ベニオフが2人がかりで話の方向性変えた(多分「書くこと」を前面に押し出すことで引用を引用するなら誠実さを、下のつぐないで言えばデリカシーを加えようとした)と言葉にするならってできたそんな感じとなんとなく思ってたけど確信した。いや未読だけど。あとやっぱ映像特典見ないこと推奨。大推奨。見るなら本編後で。