『ハロウィン』
俺の思う映画とは何か、という映画だった。続くって話だがロブ・ゾンビ版。彼の映画は初めて見た(CDはほぼ持ってる)。正直もっとこうそれこそヒャッハー!な作りかと思ってたけど全然違って驚き。俺はロックスターになったし映画も撮れた、マイケル(主演)はマサカーになれたっていうかなりの慈しみを持って撮っただろロブ・ゾンビ。誰だよあの子供。お前だろ。お前っつか全ての創作者だろ。だからこんなに丁寧で控えめってか、共感と敬意がこの映画を覆う。おっぱいですら。なんで誰にも頼まれてないのになんか書いたり描いたり歌ったりすんのという一つの答えが多分これ。俺は歌だったり映画、マイケルは殺害。そういうんだぜこれ。マイケルずっと仮面作ってたでしょ。あれロブのオリジナルでしょ?そういうことだって。なんでこの人殺すの殺さないのって理解できないのがあるんだこの映画それがそれを物語る。できないんだよ理解。でも敬意を払えるし共感できるんだ。だから媒体を変える。この映画をマイケルのひとつのアートとしてロブ・ゾンビが作ったのだとしたら結末に痺れる。つまりあれで完結する、あれでしか完結しないアートだよ。ロブがそうした。マイケルのために。自分のために。なんでロブがこれをやりたかってリメイクしたかっていう理由じゃん。つまりその。あーだからその。ロブはマイケルのためにこの映画を全力で美しく撮った。想像だがかつての自分を投影した。見ててロブ・ゾンビいつか学園恋愛ものとか撮ったらいいのにと思ったけどそれは一部分だけどローリーの学園生活をほとんど完璧に撮ってたからだ(ほとんどってのはローリーに男がいないからだこれは泣くところだ)。そこにいなかった者としそこにいたかったっていう理想を撮ってたんだ。あれはマイケルの視点じゃない。ロブのだ。あのシークエンスのローリーが普段のローリーは鬼のように可愛いけど幸せいっぱいだけどそうしたのは誰だ。ロブだろ。そのローリーにほぼ自分の写し見にしたマイケルに何させた。最後のあれは何だ。そうさせたのは誰だ。ロブだ。そう考えると超ぐっとくる。なんで?だってロブ映画撮ったし撮った映画こうしたんだもん。映画の力ってのはそういうことだろと思う。映画にしかできないことって何かってつまりこの映画だよ。ロブは映画でこれをやったんだ。映画でしかできなかったんだ。俺は絶賛するぜ。