radioheadの新譜が出ると知ったとか人狼の監督の来年公開新作が楽しみだとか思った日。あと昨日シャンプーハットの公演観た知人から聞いた劇中あったという物凄いセリフ。こんなん。「誕生日おめでとうございます先輩!あれすいませんいくつでしたっけ?」「41」「41!人生80年だとしたらもう折り返しですね下り坂ですね!頂上見た気分はどうでしたか?!」「……」「あっトイレ行ってきます!」……「……俺、頂上見たのか」あと朝日新聞で連載してたサッカー選手のゲルゼンキルヒェンて街にいる内田のコラムが今日で終わりだと知って少ししょぼん。先週から火曜が楽しみだったのに今週で終わりかよー。同ケルンにいる槙野て人は5人選んでギニュー特選隊のポーズを教えたらいいとも思ったな。オランダの吉田さんのブログおもろーと思ったけどドイツの矢野って人のもかなり面白いな。みんな頑張れ。でも俺そこまでサッカー好きじゃないんだけどな。映画観るほうが好きだがしばらく前から観たら感想書いてるけど最近さっぱり書いてねー。あー。まあ。あとそうだそうだ、黄瀬って人の初監督作品観たいなって思ったな。これの最後の奴ね。俺の今の人生は最高ではないけど最低でもないけど、こと映画に拠るとあれって思うことがたまにある。各種エンターテイメントでおそらく小説と張って映画好きなんだけど、音楽も好きだけど音楽はもう癒着というか最高でも最低でも常にそこにあるので除外、で、こんなにも映画好きなのに観てない俺なに?と思うことがあり、煙草数箱我慢すればいや別に我慢しなくてもソーシャルネットワークとか行けるのに行かない、みたいなことがあり。本当に好きなのか?好きだなあ。冷たい熱帯魚とか観たいな。俺はなんでもないけれど、枠を作れる立場なら例えば朝日新聞の沢木耕太郎のような枠を作ろうと思えば作れる立場なら対抗して中日の落合監督の映画コラムを作りたいな。冷たい熱帯魚の感想知りたいな。俺は映画を観て感想をここに書くけれど、最近毎回少しでも書いてるけれど、それはこう、何か映画を観て何も思わない言葉にできないことに恐怖したからだったから、であって、その恐怖、思わない恐怖、言葉が出てこない恐怖の2種、なので無理矢理何かを思い言葉にしようと感想を書く。完璧批評ではない。とんでもなく以前、筆記は受かったけど面接で落ちたとある大学の哲学科の面接で口にしたアホなことは結構今でも思ってたりして、要は、何かに接したときに対処する切り口、方法論として経済とか法律とか学科としてはあるけど私は哲学がいいと思ったみたいなことを言ってなんとかって教授に言ってまだ覚えてる人生初の面接で外人のおじいちゃんがいて超びびったそれまあ落ちたがなんていうかそのときからずっといや、何かに接して何も言えない恐怖ってのは未だに。なんで未だに。だからこう、下らなくてもまだ俺にはなんらかの借り物でも見解を述べる力があったっていう確認というか述べようと思う意志がまだ俺にあったかっていう。接して何も言えない何も思わないというのがどうしてそんな辛いのか未だに分からない。アーレントの言う労働がそれかとも思う。感想をひねり出したらそれは仕事かっていう。やって何かを思えたらそれは労働じゃない仕事っていう。職場を脳味噌にするならこの置き換えも可能だろう。このブログにおいて何かの感想がたまに爆発的に長くなるのはだから恐怖心からだ。ていうかこのブログ自体がそうだ。ほぼ完全に、あのときは、あの日は何かを思うことができたという記録として書いてる。書いてない日、書かずとも、みたいな例えば去年の北陸、今年の東北旅行とかはまたもアーレント風に言うなら違うけどその意味で言うなら活動だ。確認するまでもないという奴。恐怖からいつからか全部書いてるけど、書かずとも、という映画はそういえばいっぱいあると思う。そらそうだ。書き起こさなくてもかつて観た接した大事な何かは全部言葉にできる。つまり活動か仕事だ。できなかったら労働なんだろう。書いて証明してみろってのもまた違うように思う。書くまでもないことを血肉に今俺が生きてるなら活動してるのか。それはまた別か。活動したいとか仕事したいとか思ってるけれどそれは別にそっちが先じゃない。労働が怖いんだ。何も思わないことが怖いんだ。そしてそれは油断すると結構あるんだ昔からあるんだそれがドイツ人にあんなこと言った理由だそんときからその前からあったんだ。