踊場水太郎、ないしディスコ・ウェンズデイがなんでこんな頑張ってるんでろうっていうか俺は思ったわけですが途中で最後まで読んでもやっぱり舞城王太郎はどうしてこんなに頑張ってるんだろうなんでこんなに必死になってるんだって最後まで読んでって物凄く、一所懸命になってるように思い、思って、それは、あからさまに意志で、最後まで、という意志はそれでいいのか?という意志、それじゃ、駄目だ、という意志。舞城王太郎の意志は、俺はそう思う、俺はそれでいいと思う、そういう意志で突っ走る。で、全ては、舞城の為ではなく、梢の為に。全ては梢の為に?舞城王太郎はなんでこんなに頑張ってるんだろう。それは梢の為。それは何かの為。頑張る理由はある。あると思う。どう見ても保護の対象でしかないような小さな子供を食い物にするようなシステムから小さな子供を隔離しないといけない。マイケル・ジャクソンの30周年記念ライブでノーマ・ジーンでマイケルー!てきゃー!て喜んでる8歳くらいの女の子の掲げた腕の二の腕とか脇の下とか匂い嗅ぎてえ舐めてえなあ、とかそんなシステムは消えない。俺はやっぱり、妊娠とか、セックスとか、その女性の意志以前に、意志も抱けないような年齢でやるべきではないと思い、そして、抱いたその意志を尊重すべきだと思う。私は子供が欲しい、私は子供がいらない。
どうだろう。なんぞそれ。
続く。

これはゴッドだろう。これがゴッドだろう。
最後の最後にディスコが選んだ行動、努力はとんでもない。でも「世界は密室の外にある」ってプラカードを掲げるディスコはほんとに、本当に超かっこいいなって読み終えてしばらくして改めて思い返すと、思う。超思う。
あとブック2冒頭、高校生2人が宇宙論炸裂させるとこ、ものすっごくいい。もうそのまま行っちゃえよってくらい幸せそうで、でも悲しいてかノスタルジックというか幸せだけどずっと底に悲しみ、みたいな印象なのはテレビのエヴァの最終話で綾波がパン食って走ってるようなそんな場面だから、だからこそずば抜けていい場面。最高に素敵だよあの場面。ブック2冒頭。
で。
BTTF2な母親とビフなあの子その子ノーマの再登場場面だけど、こう捧げたもの引用したもの敬意を表したもの言及したもの、全てを飲み込み、その先を示すというか別の何かを提示するというかしてるっぽく思うように思う、つまり、ただ触れない、それについてどう思うかってのをちゃんと書く。書いてる。ように思い、偉いなあと。で、書いたもの登場させたものを全て結末に繋げ持ってく、っていや下の1Q84もそうだと思うけどいややっぱ凄い、ほんと凄いどんだけの努力だよって思う。めちゃくちゃに頑張ってる、頑張って書いてる頑張って頑張って結末に向かってるって思うこの小説。俺は、頑張るって言葉が好きです。昔大っ嫌いだったけど今は好き。いるよね。頑張ってるって表明する人。お前のその表明は結果になんの影響も及ぼさねーよって思ってました。今もそう思う。上手く行こうが行くまいが、頑張り関係ない。だからこそ表明する人相容れなかった。でも今はそうは思わない。どうも思わない、というのはちょっと違う。頑張った結果、上手く行った、その思考回路を他の思考、例えば俺のそれ全然関係ないよって思考と同列だと思えるようになった。今更。やっとか。どっちでもいい。その人が重きをなすものを腐すのをやめた。お前、俺それどうなのよと思わなくもない。侮蔑って無関心?んなこたーない。