族長の初夏:年とるとライトノベルが読めなくなる
タイトルだけ確かにそうだなあって思い以前は積読って言葉が謎でしょうがなかったけれどもどれだけうんこであろうとも社会人である今わかる本一冊定価で買うことに躊躇しないくらいの余裕はっていやその以前もあったけどなんだ以前真剣に考えてたなんらかの心の壁は取っ払われてるから例えばネットで評判になってたとか気になったとか信頼してる書評家さんが記事にして推してた作品は目にしたらなんとなく覚えていてなんとなく買って買ったその日に読まず読まないで寝てしまうことがいつの間にか普通に現れてしまってその買ったその日に読まない本が生じてしまったか否か生じてしまってつまりそうかそうだ以前ほど熱意を傾けられないんだって思い年のせいかって確かにその通りだと思う全部その通りにできるというのも買った本全部その日に帰宅した瞬間に飯食うのも忘れて読んでたときには戻れないというのはなぜかってもう一度でも先に飯を食ってしまったからそれでいいやって思うけれど働く前は本読んで寝た。本が飯であり飯の値段を本とかCDとか映画とかで換算してた。でも先に飯を食ってしまった。そして寝てしまった。翌日以降に持ち越してしまってそんなことをしてしまった。だから熱意ってのは飯だ。生存に不可欠なものの最上位かもしれない。お腹すいた。最近は酒だ。
ライトノベルはラノベで略すとそうだがしかし本当に個人的な問題でその例えばブックオフでオフな値段でぽろっとこれ知ってるーとふらっと購入して読んでおおニューロマンサーおもれーテッドチャンおもれーとなんだこう認める俺は改めてSFが好きだしミステリーもそうだしライトノベルもまたしかり。でも、「でもラノベだし」みたいなことを言われる度にううと思い、理由は、何かと、考察する。でもラノベだし。何が何が悪い。悪い理由があるとすれば、そんなことを言われてしまう理由があるとしたらそれはSFであってミステリーだ一緒だから逆にいえば成熟したと言えるつまるところ(そう思いたい)、昔、きっと、いたに違いない。それは「だってSFだし」「だってミステリーだし」。そう、それだ。今ライトノベルはその段階に来ている。
とか。
何が言いたいかって言うとこう思うが自らが好きなライトノベルは初期段階としてそもそもライトノベル書こうとしてないか何書いてもだってラノベでしょと言われる状況をどうにかしようとしているかどうにかしようとか思ってないがジャンルへの意識はしているか何も思ってないかどうしたなんだ方法論だけで売れるわけがないというかつまんないというかSF的な方法論ミステリーな方法論とかあるだろうけどそれだけでつまりあれだ書きたいものを書いたらそれはライトノベルっぽかったSFっぽかったそれはミステリーっぽかった、が好きでそういう好みで判断するのは俺を始めとした消費者でライトノベルはその位置に猛進しているというかなんというか「なんかラノベっぽい」「なにこれラノベ?」でいいではないか。いいじゃんか。それは誉め言葉だそれは同列って意味でジャンルって作業が、ライトノベルって言葉が多分大嫌いなんだろう俺は思う。実はきっと、大好きだ。ふと思ったけど携帯小説ってのもそうであって自分は言いたい事を言って書きたい事を書いてたまたま表現媒体は携帯だった小説でなぜってそれが身近だったから携帯小説はそれが一番自分の表現したいものを表現できるキャンパスだったからとかなんでしょね。いやなんでしょね。好きなものが確固としてある。その規準から外れたものはどうしてだろうって思う。立派だ。でもそれは評価対象が悪いわけじゃなく、誰も悪くない。いや思う。自分はこう思うってのは覚悟が必要で何の覚悟かってそう思うのは俺一人って覚悟。だからジャンル分けって傲慢だ。ジャンルを作るのも傲慢だ。でも便利だ。
共通認識とはつまりジャンルのことであり、善きにせよ悪にせよその言葉を使用するものは踊れって感じ。どんどん踊ろう。誰かが足跡を辿るから勝手に踊れ。テッド・チャンを読んで思った。改めて。誰が何しようと判断するのは評価するのは俺様であり俺で、テッド・チャンを人に勧めるときにだから間違いなくSFだって言わないしテッド・チャン本人がこれはSFだって言おうとも俺は多分そう言わないし言わないし、や、SFの金字塔って言われててその文句に惹かれて購入して読んだけどそうじゃなかった。これはSFじゃないと思う。ただすっげー面白い。
だから読んでみてー。SFって定義が俺の中で凄い変わったこれはSFを含む何かもっとこうなにかその。
なんだ。
趣旨が冒頭と引っ繰り返ってると思いしかし唯一変わらないのは俺がそう思うのは俺でそれが一番大事ということでカテゴリーやジャンルというのは明確に存在するがただしそれをカテゴライズするのはジャンル分けするのは最終的に俺である。なきゃならず。そしてそのジャンル分けは2通りしかないそれはここに書こうと思ったか否かつまり好きかどうかはそう好きなものしか書かない書きたくない嫌いなものは一切鳩山首相が大好きだ。一回一緒に飲みたい。ミステリーはミステリーだろが。ミステリって書く奴それだけで俺様的にうんこだ。
だろうし、相手からすれば俺もまたうんこだ。


追記12/23
サイエンスフィクションに関する四つのエッセー ジョン・スコルジー

「あっ、乳首だ!」

名訳だと思う。
表紙におっぱいと言えばSFという状況にスコルジーさんはうむーと思っていたそうですが80年代アメリカってそんなんだったのかと知る。おっぱいと言えばSF。違う、SFと言えばおっぱい。違う違う。決しておっぱいが先にあったわけじゃない。ないんだよ!と、ライトノベルとアニメ絵表紙について思いを馳せる。