3傑


PLAN B / randam_butter(井上雑兵)
randam_butter blog
表題作がたまらなく良い。本当に良い。例えばブラックナイトと薔薇の棘って本は俺の宝物だけど、この話もそうだ。胸張って言う。まじで良い。
シンという名前のロボットの20数年の人生の話だ。願われる事と願う事、DNAみたいなこれを完璧な勢いで螺旋状に何もかもを引き込み引き込み含有し撓ませたそれを爆発的に天空に飛ばし決して交わらないはずのそれを成層圏を突破したそこで飛ばしたそこでだからこそ限りなく近接させるけれども違う、別だけどそれでいいその2つが別でも大丈夫と言う超絶に優しい話だ。他の全てがクソでもまじに最悪な奴でも結末におけるシンの願いを知りぐっとくる奴なら俺はそれだけでそいつを好きだと言う。言える。
あーあと。
その最初期から俺を捕らえて離さなかった世界系という言葉からやっと離れることができたように思う。この先何が出てきてももう大丈夫だ。このPLAN Bがついに俺を解放した。離れた。そんな言葉は一言も出てこないのに自力でそれを終わらせたシンを作者を知った今、同時に俺のそれも終わった。誰かのそれを求める欲求が本当に終わった。これ以上もう無いと思う。もういらない。あとは本当に、俺が俺なりに、俺が俺の俺だけのそれに俺なりに、俺のやりかたで終わらせる、さよならを言う。ケリをつける。つけられるのは俺だけだ。それは俺だから。それだけだ。みんな終わらせてる。誰もが終わらせる。その先に行ってる。俺もって思う。

1回上の話読んで2回目、先に何度か再生したのちにもう1度この曲聴きながらもう1回読んで24章から同時に再生したりとかすると涙腺が決壊する。
保証する。
脳内で作り上げた最高の映画の映画化の最高の観客はもちろん俺だから当然映画になるしこのブログにおいて俺は監督でありプロデューサーであり全てだからそれは実現する。24章からスタッフロールにかけてフルにこの曲を流しやっぱりぼろぼろに泣く。
飛行と曲とセットで読んで聴いて涙がここまで個人的に直結した小説ってとある飛行士への追憶以来。あんときはradioheadのvideotape止まらないたまんねえ。シャルルが踊る前、ファナが暴れる辺りから流れるそして泣く。
もひとつ飛行、まあ飛行で同様なのはテンペストでビョークのアンラヴェルこの曲聴くと今でも朝薫の城でうろうろ場面が甦ってめろめろに視界が陰る。
今日からPLAN BでシクラメンのHOPEも追加。大事なのは曲もだが歌詞もってところだ、となりきりエアアブラッカイマーな俺は力説する。同時にやれば被せれば客は泣く。俺は泣く。俺は泣いた。ブラッカイマーな俺は続ける。犬村小六のとある飛行士への追憶か池上永一のテンペストのどちらかが好きならもしくはどちらも好きならこれも絶対に好きだ。なぜなら俺がそうだからだ。映画会社は納得する。俺だからだ。できあがった映画を見て重役たちは号泣する。公開された映画を見て世界中が号泣する。俺は製作中から泣きっぱなしだ。Zってアルファベットを見ただけで泣くからしばらくの間Zって字を使えない。
これはそういう小説だ。
俺はそう思った。