『ノリノリタナックvol.2 「まちのあかり」』
詩とか電気とかベンヤミンとかまあどっからどこまでが作者なのかってまあ全部なんだろうけれど、例えば詩に引き摺られたのかとも思うけどそうでもなく、個人的には原発とかかなりどうでもよくて、荒川区とかもそうで。ボストンとベン・アフレックみたいな感じで行くのかと思ったけどそういうわけでもなく、電気が全て落ちたときに思うのは寂しいなってことで、傍に誰かいるってだけでもの凄く心強いってのは確かなことで、心強いっていうか外に出れば人はいるからどちらかと言えばわくわくする。無知なので適当に言うけどガスで電気を沸かそう。復旧が一番早いのは電気ってのは誇っていいと思うな電気会社。比べられないけどガス会社の頑張りも誇らしいな。地下1000mくらいに原発建てたらいいんじゃないか。あと本社も同じく地下1000mに。一蓮托生ってのはネガティブな意味じゃなくて、漫画のナウシカみたいな感じでもある。ああわかった。計画停電と津波と自動販売機とあかりとひかりの結びつきが細いって。距離感が掴めなくて、生き別れた姉妹が出会えた喜びがハッピーセットと乖離してるんだ。日常の回帰よりも人と人との繋がりが重視されるなら、そうか、と思うけど、分けなくていいとも思う。スーパーでの買い物やスーパーでのレジ打ちが非日常になる。でもすぐに日常に戻るから、あれは日常の続きだ。いや。あの2人はなんだ。ああ分かった、覚悟とかそういうのだ。等しく言いたいんだ、出したいんだ、観たいんだ観せたいんだってのは分かった。そう覚悟。山田亮太の詩とかベンヤミンの文章とか改変するか切り刻んでくれと思ったんだ。それは観て初めて思った。さもなきゃハッピーセットのおまけのおまけ扱いともとれる再会がなんだか不憫じゃないかって。やっぱりハッピーセットがおまけなのか、それよりも大事なのはドングリだったのか、とか思う。ドングリってのは種だが。しかし小さな会場だったので女優さんが近くて嬉しい。美人だなー上手いなーいい声だなーお洒落だなー。あ、寝って転がって部屋番号言うとこ好きだ。あれも詩か。あそこ良い。やっぱ好き。