ハーモニー

「だっておれはこれを読む前にこの人はこれを書いていたときに病室だったってもう死んでしまってるって知ってるからなんだか遺書みたいだと思って読むから、いちいち泣きそうになりながら読んだよ。だって好きな作家だったんだ。だって病気なんて無い世界だ。帯に書いてある。もしも天国というものがあるのなら。病気なんて無い世界、まるで天国のような世界。でもそんなの天国じゃない。そう。自らの考える天国をどうやったら生きていながらにして実現可能かって考えたのがこの本だ。この小説だ。文字通りの天国だよ。生きていながらにして思う、死ななきゃ体験できない天国のことだ。ええとね、死ななきゃ体験できないけれど、死ぬのは怖いし嫌なんだ。だから生きているうちにそこに行きたいんだ。生きてるうちに行けたなら死んでたっていい場所だ。おれの想像だよ。想像だけどね、ありきたりの天国じゃない作者の考える天国は、素晴らしい場所、天国って何かって考えて、それを実現しようと試みて実現してしまう小説なんだ。あれだ。ベケットの被昇天だ。さっき思い出した。被昇天は、一足飛びに昇天しよう、それも自ら、神の力を借りずに、キリスト教世界観の枠組みからは逃れられないとしても抜け道を見つけよう作り出そうやってやろうやってやる、そしてやってしまう、被っていう受動性がどうしても受け入れられなかった人が書いたあれはそんな短編小説だ。そうおれは解釈して必死こいて証明しようとした。あれを思い出した。これもそうだ。キリスト教どうこうじゃない、作者の、人の意志をもって実現してやろうって点で。素晴らしい世界があるのなら、想像できるなら、その素晴らしい世界に行きたい。その素晴らしい世界は想像し、願った人だけじゃない、死んだら皆が行く場所だ、だから皆にとって素晴らしい世界で場所だ。作者はその世界を考える。その世界は用意された世界じゃない、作者が、作者たちが人類が等しく意志をもって想像し、創造された場所じゃなきゃいけない。だってそこに行くのは全人類に属する作者だ。そこは、作者が行きたい場所だ。それも作者だけじゃなく、皆が満足する場所じゃなきゃいけなくて、世界だ。皆が満足する場所を、世界を、天国を、作者は考えて、考えた上でそこに行く為の方法を考えた。死ななきゃ行けない世界なんて嫌だ。だって死ななきゃ行けるかどうかわからない世界なんて嫌だ。作者は考える。生きているうちにその世界に行ける方法を考える。今この世界が天国になる方法を考える。なぜかって、幸福の為に。彼だけじゃない。皆の、人類にとっての幸福だ。そしておれは思う。作者は成功したんじゃないか。勿論、ある登場人物の考えとして提示される一つの考えだし、作者がほんとにそんなこと思ってたかなんて知らない。でも、ここに354Pの本があるってのは事実だ。この本の大半は病室で書かれたんだ。余命いくばくも無い人が書いたんだ。それも、天国について書いてある。人類が生きながらにして天国に行ける方法が書いてある。こうすれば行けます。乱暴か?これは死にそうな人が一生懸命に天国に行く方法を考えてそれを見つけてしまって小説上でしか実現できない方法だとしても実現させてしまった本だって考えるのは乱暴か?おれはこの人のこと、長編2本、短編1つ、あとweb日記でしか知らない。読者。この本に描かれる天国はこの本の登場人物の一人が思い描いた天国なのだけれど、そう、もうこの世にいないこの作者は、きっと、この本を書いているときに天国について考えていたと思う。この本には天国って単語が出てくる。だからそうだろうって程度でしかないけどそう思う。おれは思うけど、この本に描かれる天国じゃなくても、あるいはそうだとしても、そうあって欲しいと作者が思った天国があるのなら、今作者はそこにいたらいいなってそう思う。こうすればできるんだ。こうすれば行けるんだ。手段はある。でもその手段は無い。けれどその手段はあるんだ。やろうと思えばできる手段を作者は考えたんだ。自らの死をコントロールできる、誰でもできる手段って何だと思う?それは自殺だ。そしてこの作者は、その先を考えた。その先をコントロールしたいと思ったんだ。なぜかって、作者はシュミレートした。それは自殺でも行けるかもしれない。でももっと確実な方法はあるはずだって。違う。自殺じゃ駄目だ。それでもいいけど俺はそれじゃ駄目だって書いてある。だからもっと考えた。自殺でも行けそうだったけれど、もっと確実な、もっと。そして、してしまって、しきった。それは素晴らしい世界。天国。自殺するくらいなら。皆が。それこそが天国。これはそんな小説だ。おれはそう思う。だからずっと、読んでて泣きそうになってた。思った。おれはありがとう、そしてごめんなさいって言葉が好きだ。それも、それを言ったところで何も変わらないって状況が、そして、それでも言わずにはいられなくて発せられるありがとうとごめんなさいって言葉が好きだ。もう遅いのに、取り返しがつかないのに言われるありがとう、あるいはごめんなさい。そんな状況で、どっちだっていい。どっちかが出てきたらおれはなんか泣ける。だって、これにはそれが出てくる。そりゃ泣きたくなる。だってもうこの人はいない。ありがとうって言っても、思っても、謝っても、もう絶対に届かない。じゃあどうしたらいいんだろう。どうしたらいいと思う。ついて行くしかない。違う。他にもたくさんある、他にもいくつかあるように、自覚して、忘れずに、思い出す。いくつかある。たくさんある。もう引き離せない、今のおれを形作る要素の中に、確固として彼はあるんだって、自覚して、思い出す。想像できるなら、どうして創造しない。しようとしない。考えたなら、形にしろよ。そう言ってるように思う。だから、そうしようって、思うんだ」
09/04/24

伊藤計劃