最近実家で祖父母の墓参りをして、一緒に行った母がもうひとつと帰り際に口にした名前をカーナビに入力して行った寺には妹の同級生がいるという。俺は東京の大学に行き、妹は地元の大学だったがそこの同級生で、一言で言えば妹が長々と非常に精神不安定、みたいな話は随分前に電話口で聞いたことがあったけれど他にも理由はあるんだろうけど理由の一つとしてその女の子の自殺もあったんだと親は言う。その子はとても妹と仲が良くて、中高一貫の女子高女子大に通ってた妹と同じ進路を進み5年前に亡くなったらしい。そんで、親曰く凄く綺麗な子だったという。顔も見たことが無い俺にとっては大事な情報だ。実のところ俺がその女の子の墓を参るのはそれで2度目で、2度目にして思った。墓を建てるとか、参るとか,なんて自己満足な行為だろう。皆が俺と同じことをとっくに思っているなら、○回忌とか、法事とか、いらねえよ。思うところは何も無いけれど俺は亡くなった祖父母の親族的なイベントにここ数年欠席していて、俺がいないことで両親は間違いなく肩身が狭い思いをしている。祖父母の長男の長男が俺だ。でも俺に出ろとは言わない。祖母の何周忌か忘れたけど私服だったの私たちだけだったなあきっと何か言われてる、と俺に付き合って時期外れの墓参りをしてくれた母はぼやく。そばで煙草を吸う父は無言だ。帰り道、父は少しだけ機嫌が悪い。その手のイベントに、出るか、と聞いてくれるのは父だ。俺はいいや、と俺は言う。母の影に隠れがちだけど父も結構特殊だ。機嫌を悪くした理由のひとつっは俺が墓参りしたいってしたからだ。俺の実家には本当に小さい、証明写真ばりに小さい祖父母の写真が写真立てに収まって目立たないところにある。でもそこにある。俺はそれを見て、見るだけで、時期外れに車貸して、線香上げてこようって1年に1回は思い言う。物凄く矛盾している。実家にある小さな写真に線香を上げたらいい。俺は、実家の写真にも墓石にも誰もいなければいいと思う。お盆とかに帰ってこなくていいと思う。俺は俺の自己満足の為に線香を上げたいと思うけれど、それは俺だけの為でいい。祖父母も、その綺麗だったという変わった苗字の女の子も、死んだらどこにもいないか、もしくは現世の何百倍も幸せなことが起きるとこにいたらいい。もしも墓石があることでなんらかの縛り付けることに繋がるなら墓石なんて砕いてしまえ。あんな寂しいとことにいろって自分の都合がいいときだけってそりゃねえよ寺より俺の実家のほうがまじで目立たないけど居間に写真置いてる実家のほうがあの墓場よりも数千倍は居心地がいいしどっちにしろそんなとこに俺はいてほしくない。俺は俺の自己満足を追及するから、今これを書いてる今死んだ人のことを頭の隅で凄く考えてるから、満足する。墓石を細かく細かく打ち砕き海とか空とか宇宙に撒きたい。地上の1点に留め置かれるなら俺はそっちのほうがいい。祖父母も、綺麗なその子も。どこでもいいから空が見えるところで線香に火をともせ。なんかそう思う。極論として考えるだけで供養ってのがあるけど、俺はそれを改めて支持する。生まれた赤ん坊が泣くのはこの世に生を受けた事を嘆くからってあるだろ。んなわけあっかよと思うけど、支持する。近い。死んだら喜んで欲しい。俺は喜びたい。天国も地獄もない。地獄があるとしたら生きている人のせいで墓石に釘付けにされることだ俺は俺の祖父母にその女の子にそんな目にあって欲しくないいてほしいなんて思わない。供養ってのは思うことだ。顔も知らない相手を供養できた俺がここにいる。墓石の、イベントの無意味さ加減が分かるだろうというものじゃないか。俺は言い訳を糊塗してる。俺は恥ずかしいとも思う。でも間違ってるとは思わない。