サバイバー (ハヤカワ文庫NV)

サバイバー (ハヤカワ文庫NV)





チャック・パラニュークって人のサバイバーって本は今日古本屋で100円で売っててああ懐かしいとパラパラと立ち読みして、上のが目に飛び込んできて、ああそうだ、俺はこの本のこの箇所が大好きだったこの本はこの箇所が無くても抜群に面白いのにこの箇所があるからこうまでずっと印象に残ってて。すぐにそのことを思い出せて。この場面でこれを言うファーティリティそれを聞いて微笑む主人公ここでこの場面で、ってのがもう、この部分があるからこそあの本は俺は完璧だと思う。古本屋から出てしばらくして今池電波聖ゴミマリアって本を思い出して、それは無論久しぶりに思い出したファーティリティからの連想で、でもこの本は読んだことがないから本当に似ているかどうかは分からなくて、そうそう。

僕の中にあるのは、誰か死んだ少女にひしと抱かれたいという欲望だ。彼女の胸に耳を押し当て、無音に聴き入りたい。肉と血液と皮膚と骨の塊に過ぎないと思って生きるより、ゾンビにむさぼり食われる方がましだ。

サバイバー主人公の一人称とか小説の抜粋。がネットにあって貼ってみて、なんかこれそうだ俺はあれも、と、



なるべくヘッドホンで聞いてほしい(リテイクは やばい)
めちゃ大雑把に言うと再殺部隊(世にゾンビが溢れたそしてそのゾンビの気持ちの歌)(ゾンビ側の気持ちを歌うはゾンビ化した恋人。彼女)
リテイク(ゾンビを排除する側の歌)(排除する再殺部隊にいるのは映画好きな彼氏)(再殺部隊で歌われた彼女であるゾンビ化した彼女を)
あーもうずっと前にサバイバーをデビッド・フィンチャーが映画化(おいおいまじかそれ最高だ)って話があったのにその話以降フィンチャーはパニック・ルームとゾディアックとベンジャミン・バトンを撮ったので立ち消えになったのかな、と思う、て911のせいで?そっか。しかしフランシス・ローレンスが映画化に興味を示したことがあるとのこと。おおお。俺の愛するコンスタンティンの監督じゃないか。しかしいくら調べても作ってるなんて話は聞かない。なんだよっていう。
wordに貼る。アクロバットに焼いたのちjpeg変換する。フォトショップで加工する。ここに貼る。ってこれ絶対にもっと便利な道筋(あるいはそれ全部それのみで可能なソフト)があると思ういや無いわけ無い。と思うけど知らず。あったら知りたい。
他にも

ぼくに電話をかけてくる連中のほとんどは、すでに自分で答えを出している。死にたくて、ぼくの許可を得るためだけに電話をかけてくる輩もいる。死にたくて、きっかけを求めて電話をしてくる奴もいる。背中を軽く一押ししてもらいたくて。自殺を決意した人間には、ユーモアのセンスはさして残っていない。不用意な一言が、奴らを翌週の死亡記事に変えてしまう。ほとんどの電話を、ぼくは聞き流している。ほとんどの場合、相手の声の調子だけを根拠に、どいつが生き、どいつが死ぬか決めている。

ダンスクラブの女と話していても埒があかず、僕は言ってやった。死ぬといい。

女が言う。「え?」

死ぬといい。

女が言う。「え?」

睡眠薬と酒を食らって、クリーニング屋でくれるビニール袋に頭を突っ込むといい。

女が言う。「え?」

子牛肉にパン粉をまぶすのに片手ではうまくいかず、僕は言ってやった。いまやるか、永遠にやれないかだ。思い切ってやるか、やらないか。いまなら僕がついている。独りで死ぬわけじゃない。だが、一晩中付き合うわけにはいかないな。

ダンスミックスの騒音にまぎれて、女の泣き声が聞こえてきた。そこで僕は電話を切った。

携帯の留守電におえつ=当日、母親へ着信10回以上−中1男子自殺・福岡
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/suicide/?1233217446
本当は死ぬつもりなんて無かった、というのは本当にあると思い、まだ知らないし見えないだけで、数日後に、数ヵ月後にはそのときの自分をああ俺あんなだったなって思うことができるかもしれない可能性なんて無いと思う。でもまあ、死にたいって思ったその瞬間、本当は死ぬつもりなんて無かったのかもしれない、でも死にたい(今死んでもいい)と思ったのは感情の更新上もっとも強度はある、というか死んだとき、それは今まで生きてきた中で最大に死にたいと思ったときだと思うのでそのときだけは死が100で生0。母親が電話をかけなおしたらこれ逆転したと思う、というのも確か。死なないで、死ぬな、と電話口で言っても死んでしまうかもしれない。なら死んでしまえと言うのも死なない可能性としては五分五分。死なないで、と言われたいのか死んでしまえと言われたいのかなんてこっちからすれば分からない。死にたいんだ。でもあと少しだけ勇気が足りない、一人じゃ死ねない。だからお母さん、背中を押して、死んでって言って。という電話だったかもしれない。あるいは誰かに死んでって言われることで湧き上がる反発心を持って死ぬのをやめたかったのかもしれない。でも結局彼は命を絶ったので、彼が命を絶つ為には母親に電話をすることも母親には繋がらなかったことも彼の自死の為には必要なプロセスであって母親に電話しなければ彼は死ななかっただから出ていればとか思う必要ない、みたいな仮説。もしくは、何しようと彼はそのときその時間に死んだのだから電話はあまり関係が無い、という仮説。けれど、もう一つ。死ぬなと言えば、死なない仮説。可能性。ギャンブル弱い人はこれを採ったら、というか可能性が五分ならギャンブル要素ゼロ。公平なおみくじみたいなもので、吉と凶しかなくて、吉と出たら電話相手死亡っていう。幸せな未来が想像できなくて電話するなら生は凶ですこの場合。このときにおいては。あーそういやマーラもタイラーに電話するね。と思い出した。タイラーが何を言った返事したのかは忘れたけど、富士の樹海によく行く、ただし強姦目的で(どうせ死ぬならその前に何しても)みたいな心境だったんじゃなかろうかといやいや違うなんだそれ(漫画だ)、あんな風に自分の死を弄ぶ女最高だ!て感じだったそう思い出した。そうそう。それだ。しかしファーティリティをマーラの、つまりヘレナ・ボナム=カーターのイメージで読んだぴったりだって人がネット界隈には割といて、いやそれは俺は、違うんじゃなかろうかと思う。永遠の幼女、とは言わないまでもこの日記の一番上の貼りつけた奴の前の関連の文脈の物語の流れからそしてファーティリティって名前も含めて中学生くらいの女性が演じたらいいと思ったしそれは変わらない。今でも思う。これは奇蹟よ、と確かファーティリティは言うけれど、その奇蹟が映像として在り得るならファーティリティを幼女が演じたって全然構わないと俺は思う。そしてそんな映像はある。しかも日本に映画としてあるけどまだ見たことない。

「愛なんてくだらない」彼女は僕の声と同じくらい低い声で言う。「ね、あたしを声でいかせて」

どういう意味か分からないな。

「わかってるくせに」

創世記、第三章第十二節。

「……あなたが私のそばに置かれた女が、木から取って私にくれたので、食べたのです」

いいかい、と僕は言う。僕はいま独りじゃない。僕の周りでは、思いやりと励ましに満ちたボランティアが大勢いて、自分の時間を世のために捧げている。

「いいから」彼女が言う。「乳首を舐めて」

きみは僕の思いやりと励ましに満ちた人柄につけいろうとしている、と僕は言う。もう電話を切るよ、と僕は言う。

彼女が言う。「体中にキスして」

僕は言う。もう切るよ。

「もっと強く」彼女が言う。「もっと強く吸って。ああ、もっと、もっと強く」彼女は笑い、言う。「舐めて。舐めて。舐めて。舐めて」

僕は言う。もう切るよ。しかし、僕は電話を切らない。

ファーティリティが言っている。「あたしが欲しいって自分でも分かっているくせに。何をされたいか言ってみて。あたしとしたいって分かってるくせに。あたしにいやらしいことをさせてよ」

しかし僕が引っ張り出す前に、ファーティリティ・ホリスは、ポルノ女優じみた、しゃがれた雄叫びみたいなオーガズムの声を上げた。

僕は電話を切った。

テモテへの第一の手紙、第五章第十五節。

「というのは、すでに道を踏み外し、サタンについていった者もあるからです」

安く見られたような、利用されたような、汚されたような、陵辱されたような気がした。汚され、裏切られ、捨てられたような。

また電話が鳴り出す。彼女だ。彼女に決まっているから、僕は電話を取らない。

一晩中電話は鳴り続け、僕は騙されたような気持ちを抱えてうずくまり、どうしても電話に出られない。

実はその、苦手な部類だったんだですけどというのも本文と距離を取るっていうか突き放した透徹した翻訳スタンス印象(俺の)しかしこの小説に関しては池田 真紀子さん(その経歴超かっこいいっす)の訳、超嵌ってると思う。ぴったりです。しかし、狙った訳じゃないのにまた電話。他のもこうなのか。あーコピペだからぼくだったり僕だったり。はい。