『グーグル情報革命の崩壊』
http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090817-01.html

バベルの塔の本質は、ある人の欲する情報を吸い上げられ奪われたあと、その人の求める情報のみが与えられて他に関心を向けるリソースが奪われることにある。

いいや最初は違うこと思ったけど取っ掛かりとしてこう昔々自分のことを知ってもらいたい自分の知ったことを知ってもらいたいと思った人がいましたそれまでそんな人いませんでしたがそうすることが気持ちいいと思った彼はどんどん話しました次に彼は気付きましたがただ喋るよりも誰かが聞いてくれる隣にいてくれるほうが何倍も気持ちがいいことに。なんだこいつきもいなあと思っていた周囲の人間の中の一人がふとある日真似をしてみましたするとどうでしょうこれがとても気持ち良いのですそして彼もまた相手を探し自らのことを話し自らの知識を話し、こうしてどんどんとこのアウトプットな病っぽいものは広まっていきました略。で、いっちょみんなで暮らそうぜ村でも町でも国でも作っちまおうぜって話になって彼らはコミュニティを形成しました塔を建て始めました。略。ここで、上記記事で言う神は多分リフレクト。レスポンス。の、反意語。あるいはアクション/リアクションのブレイクサイクル。最初はインプットもアウトプットもしたくないっていう人間の意志と思ったけれど、違う。バベルの塔が崩壊したのは、きっと、いきなり隣の人間に対して無関心になったから。隣の人間が自分への関心を失ってしまったから。つまり、誰かが最初に無視することを覚えた。それが連鎖的に、同じく病気みたいにして全員に広まったのはああ、無視してもいいんだ、聞きたくない言葉を聞かない自由ってなんて心地いいんだろうという尋常じゃない気持ち良さ。聞いて気持ちよかったってのが先にあるからこその聞かない気持ち良さ。カムバックかつての神。グーグルをバベルに例えて神は何かと問うならば。もっともっと気持ちの良い何かを俺に。きっとそれはグーグルがバベルで神はなんじゃろって考えることそのものは知らなかったときにはもう戻れないならば、もうお腹一杯って思うこと、もういいやって、精神的に胃を小さくすること、あるいはみんなで牛になること。たくさんの胃を持つこと。太るのが嫌なら胃を小さくしてたくさん持つ、もしくは自力で食う物を選ぶ。腹減ったって意識すら操作されてるとしたら難しいけど胃が小さくてなおかつデザートは別腹で。やっぱ気持ち良くなきゃ。気持ち良けりゃなんでもかんでも霞でも、価値観でも観念でも。あるいは。絶対にグーグルが代わりになってくれない何かを至上のものとすること、それはネットっつってもいいけどグーグルが答えを教えてくれない何かを大事だと思うこと。それは考える、それは図書館に行く、本屋に行く、飲み会に行く、食事に行く、デートする、セックスする、それは一人で何かする、それは誰かと何かをする、グーグル見てるよりブラウザ開くより価値あると思えるリソースの消費法は楽しいって思えるような何か。それに対して何か思いたいと思えるような何か。感想が勝手に出てくる何か。日記の投稿フォームに書かないで、ワード(マイクロソフト!)に書いてから貼り付けるとか?最初の一歩として。とにかく別の何かを。

スノウ・クラッシュ

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