戦場でワルツを
戦争映画かと思いきやそうでもないので反戦映画でもなく、衝撃的でもないし重くもない。そしてドキュメンタリーでもないっていうか、事実を描いた映画でもない。最後の映像は別に主人公が見た景色ではないし回想場面の主人公は監督ではない(だって語ってんの映画監督だぜ)。じゃあこれは何映画かって、主人公の見る海の夢がどれだけ美しいかっていう映画だと思う。それだ。俺の見る夢が1番だって確認して回る映画は、犬の夢も、レバノン内乱、侵攻も、サブラ・シャティーラの虐殺も、イスラエルもアウシュビッツもユダヤもアラブも全部が全部あの夢の美しさを引き立てる為にある。なんだけれど、その夢は本当に素敵な夢なのでこれはそういう映画だったなって思って納得する。なので遊園地の記憶操作、みたいな話が出てくるけれど自分は遊園地にいたってあれがどこかっつったらそりゃ最後の場面じゃね、と思います。あと戦争反対とかイスラエル批判とか、してたこの映画?俺してないと思う。24年も前にそんな素敵な夢(でかい女の人のあれ)を見てたオランダの友人への対抗心、夢内容で張り合うとか、その友人があの晩のこと思い出そうという意欲が特に無いとか、そこで対抗心、そんなもんは感じた。何も覚えてない主人公は覚えてる人が羨ましい。ってなんで俺。あー。戦争反対、があるとしたら、19歳で戦争なんか行くもんじゃねー、って意味であるかも。戦争自体に反対はしてないしてない。やっぱしてない。むしろ戦争行ったからあんな素敵な夢見れたこの映画撮れたって思ってるぜ監督、な気がする。銃撃戦のド真ん中で狂ってくれてありがとう、ポスターだらけの街でありがとうバシールとワルツ踊ってくれてありがとう的な。むしろ記憶無い俺おいしい、みたいな。ってまた俺なんでこう。あー。続く。多分。海の夢が超素敵なのは本当で、最後の場面含めてむしろあれは駄目押し的にこの映画の全てがあの夢の為にあの夢に奉仕してると思うのも本当。それは本当。ポスターにもなってるあの夢は本当に素敵。そしてやっぱ戦争反対映画では無い。むしろなんにも反対してない。してるとしたら、語らないこと、肯定してるものがあるとしたら、何らかの形で表現して刻んで遺すこと。